日暮里の魅力


日暮里は何がおもしろいのか?

 

東京の東北部よりに位置し、東京都荒川区になります。
さらに詳しく日暮里を見て行きましょう。

 

日暮里・西日暮里の概要

このエリアは、古くから繊維街として栄え、人情味ある下町情緒満載の街です。
交通の発展で成田空港からスカイライナーで都内に、最短で行くことができます。
また都心へも短時間で行けるので都心の喧噪を離れ、のんびりゆっくり過ごすことが可能です。
まず日暮里には、JR山手線と京成電鉄の本線、東京都交通局の日暮里・舎人ライナーの3路線が乗り入れています。

日暮里駅に到着し改札を東口に出ると、正面にはかつて駄菓子問屋で賑わっていた場所に、サンマークシティと名付けられた3つのビルが立っています。
バスロータリーには太田道灌の騎馬姿の銅像。太田道灌は江戸城を築城したことで有名です。

日暮里駅近くには歩いてすぐに谷中霊園。
日暮里駅の西側には夕焼けだんだんがあり、昔ながらの商店街「谷中ぎんざ」へ通じています。古き良き時代の昔ながらのお店から、新しいカフェやオリジナルショップまで今も進化し続けています。

谷中ぎんざを抜けるとその先には谷根千があり、ちょっと足をのばして歴史情緒あふれる街を散策してみるのも良いでしょう。
南東側には、ハンドメイド好きの女性に人気のスポット、繊維問屋街があります。
日暮里駅の東側には多くの飲食店もあり、昼夜の日暮里で楽しい時間を過ごすこともできます。

 

日暮里・西日暮里の歴史

日暮里地区は区内でも古い歴史をもつ地域です。
元々の地名は、室町時代の古文書・記録に「につほり」「新堀」と記されています。
江戸時代中期頃には「ひぐらしの里」と呼ばれるようになり、江戸庶民の情緒豊かな遊びの場となりました。

雪見寺(浄光寺)・月見寺(本行寺)・花見寺(青雲寺・修性院)という別名をもつ寺院が点在する日暮里の地は、風流を好む江戸の文人が集まったことで知られ、多くの文学碑が残されています。

このあたりの諏訪台の西側に妙隆寺(西日暮里三丁目一〇八〇番地付近、近代に修性院と合併)があり、寛延元年(1748年)ごろ、住職が境内にサクラやツツジを植え、見事な庭を作り上げました。ここが評判となり、近所のお寺も競って庭をしつらえるようになり、日暮里の山が一つの庭園のようになりました。それがまた見事で、江戸の名所として多くの本や浮世絵で紹介されるようになったそうです。
その景観に見とれて、日の暮れるのも忘れてしまいそうなほど、そこから「日暮しの里」と呼ぶようになったのではとされています。